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2017年の写真を見ながら今思うこと [ザルツブルク 2017年夏]

現在、2017年夏のザルツブルクの話を連載中。今日はまた2017年の山の上の話。

ほんのちょこっと雲が晴れて、ずっと向こうの高い山の頂を目にすることができた。
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他にもいろいろ見どころが点在しているのだが、建物を訪ねるのはやめた。
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説明版。
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石灰岩をしげしげと見る。
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さあて、そろそろ戻りましょうかね…
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いくら見ても飽きないと言えばそうだし、もう十分と言えばまたその通り。
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氷河、いつまで残り続けられるかな…
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一説によると地球はまもなく小さな氷河期に入るはずなのだという。だけど温暖化でそれが遅れている、という一説もあるそうだ。つまり差し引き0であるということか。もしそれが本当なら、普通に行ってもあと30年ぐらいしか生きないであろうめぎの自分本位な考えでは、自分が生きている間だけは自分の慣れ親しんだ場所の気候が保たれて、日常生活に支障がなく、美味しいものを食べてのんびり休暇を楽しめる世界であり続けてほしいと願うだけだが、自分の教え子や友人の子どもやその孫の世代がツケを負うのかなと思うと、そんな自己中ではダメかなとも思ったりもする。さて、諸説のことはともかく、目に見えるこの氷河が毎年後退していっていることは事実。いずれにせよ、ここ数年のドイツにしては暑すぎる期間の長さや、全く雨の降らないカラカラに乾いた夏があったかと思えば今年のドイツのように本来なかった梅雨のような長雨の夏もあり、春にも雪や雹が降るような冬の寒さと長さなど極端な異常気象が連発してて、それが人の心をさらに不安定にしているように思う。ジャーナリストが殺されてしまったり、無差別殺人が起こったり、自分ファースト&#MeTooが連鎖反応を起こしたり、極端に左右に振れたり、誰かを攻撃する雰囲気がどんどん増していっているのがとても気になる。

そんな世の中で、ヨーロッパの言語共通参照枠(ヨーロッパで外国語を教える際にどの言語にも適用できるような学習状況の評価や指導といったものの方法を提供したスキーム)が20年ぶりに改訂されて、ヨーロッパ市民を育てるべく複言語・複文化能力や相手との協働というものが評価・指導されるべきという記述が多々追加された。その記述文を読みながら(現在英語版とフランス語版しかないので久々に英語を読んで四苦八苦!)、ヨーロッパ評議会(ヨーロッパ統合を目指す機関)は、なんとかこの自分ファーストに歯止めをかけたいと意思表示しているのだな、と感じる。そして、語学教師がその指導を担うべきだというのだ。今や語学というのはその外国語を話したり聞き取ったり読んだり書いたりできるようになれればいいのではなく、自分のもともと持っている文化とその外国語の文化との橋渡しになったり、相手と議論しつつともに歩めるような人材になったりすることを目標とした教育を行わなければならないという訳だ。そんなこと前からそう言われているよと言えばそうだけど、学校の語学教師が本当にそこまで考えて日々授業を行ってきたかと問われれば、多くはただ教科書を終わらせたり文法や単語を教えたりすることで精いっぱいだったのが現状で、自分自身がそれこそちゃんと協働できているのか、複言語・複文化能力を持っているのか、ヨーロッパ市民になっているのか、と問うと、なんとも心許ない。もっと心して内省し、かつ実行に移していかねばと思っているところ。

さて、ここには本当にたくさんの人たちがいた。それぞれ、めぎと全く同じ日にこの同じ場所で別々だけど同じ景色と時間を共有して、全く別の様々な思い出を胸に、今どこでどうしてるのかしら。
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ずっと下の方に飛ぶパラグライダー。
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これがここで写した最後の写真。12時20分頃の撮影で、この後またゴンドラで山を下り、車でサクッとザルツブルクへ戻った。
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Baldhead1010

寒冷化、温暖化、どう転んでも嫌ですね。
by Baldhead1010 (2021-07-18 03:52) 

mm

地球が氷河期にまもなく入るという説は聞きますね。人間のせいで温暖化が進み、一方氷河期に入る、その両者のせめぎあいがこんな気候不順をもたらすのかしら。いろんなことが多々あり過ぎ!
語学も大変ですね。ヨーロッパはその大本が同じだから?ヨーロッパ市民って考えが浮かぶのかしらね。
日本ではやはり民族って大事に考えられている気がします。大和民族と漢民族や朝鮮民族は考え方が根本から違う気がするし。ま、これはわたくしの個人的感想ですが。
by mm (2021-07-18 05:59) 

stellaria

そうかぁ、語学を教えるということの意義は、そんなにも大きいのですね...ブログを拝見する限り、めぎさんは、異文化の中に身を置く中で、あらゆる物事について(文化や習慣の違いや、社会のあり方も含めて)常に深く考えながら、周りの方と協働していらっしゃる印象を受けます。そういう姿勢はきっと、授業や生徒への接し方にも滲み出るのではないでしょうか。
by stellaria (2021-07-18 06:36) 

YAP

我が家も子供がいないので、自分が生きている間だけでも地球の環境が持ってくれればいいという考え方もできないわけではないですが、やはりそれではいけないですね。
ドイツはすごい大雨の被害だったみたいですし、そういう異常気象が異常ではなく日常になりつつある世界が怖いです。
語学って、言葉をおぼえるだけであればそれで終わりですが、実際に仕事や生活で使うようになると、異なる文化を学ぶことにつながりますし、考え方の幅が飛躍的に広がりますね。
海外の人と仕事するのが当たり前の環境になって、それをすごく感じます。
それを考えると、海外言語(日本だとやはり英語ですね)の教育には、もっと力を入れるべきだと思います。
by YAP (2021-07-18 06:42) 

ナツパパ

ご無沙汰しました。
何年か前、フィンランドに行ったとき、ここだけ言葉が違いうなあと感じました。
ヨーロッパ各国、同じようなことががあったり共通な点を感じるのですが、
フィンランドは他の北欧3国ともまるっきり違っていて。
同じ言葉の人たちが国になるのか、一つの国にいる人が同じ言語を話すのか...
あ、今は、後者は当てはまらないですね。
by ナツパパ (2021-07-18 10:36) 

(。・_・。)2k

最後の写真 迫力ありますねぇ
高さを感じられる写真ですね

by (。・_・。)2k (2021-07-18 12:46) 

Inatimy

この石灰岩ゴツゴツの下には滝があったり、洞窟があったりするわけですね・・・なんかワクワク。日本でも山口県の秋芳洞なんかそうですもんね。鍾乳洞なんかもありそうだな^^。
小さな国土のオランダでもオランダ語以外にフリースラント語とかリンブルフ語とかもあるから、国内でも互いに文化を尊重しあって上手くやってるか考えないといけませんね・・・。
by Inatimy (2021-07-18 21:29) 

テリー

ゴンドラで、この高さまで、簡単に登り、高山の景色が、楽しめるのは良いですね。
by テリー (2021-07-18 22:57)