SSブログ

日本旅行 ~序章その2~ [2014年夏 日本の旅]

ax.jpg

現在、この夏の日本旅行記連載中。

序章だけでも記事2つになってしまうほど長い日本の旅。旅の後半10日間のテーマは「家族」。そう、今回の日本訪問の目的は家族の訪問。それを主目的に日本へ行くのは、めぎがドイツに滞在して以来初めてのこと。思えば、前半10日間の東京滞在期間だって、うちのドイツ人にとっては家族訪問であったのだが。とにもかくにも後半10日間は、めぎにとっては長年の不義理を経て意を決して行う本当に密度の濃い家族旅行。うちのドイツ人が非常にうまくサポートしてくれて、大感謝。

まずは仙台の妹夫婦の家へ。
a14.jpg


白いBMWに乗って義弟の地元仙台に生きる妹。めぎの知らない日常がそこにあった。
a9.jpg


日本では特に珍しくもない風景なのだと思うが、妹が住んでいるところを自分の目で見て、自分の日常との違いを実感し、それによって、妹がもはやかつてめぎのあとをついてくるだけだった妹ではなく本当に大人になって自立したのだと悟るよい機会になった。
a13.jpg


5歳も年上で、両親が本当は一人っ子になるはずだっためぎのどうしてもという嘆願に屈して妹を生んでくれたということもあって、めぎは幼い頃から理想の姉になるよう厳しく教育されたし、めぎにとって妹は半分自分の子どものようなもので、いくつになっても自分のあとをタオルを抱えてついてくる赤ちゃんのようなイメージが抜けない。だから、親が子どもにしてしまうのと同じような過ちもしでかす・・・ああそうしちゃいけないのよ~こうした方がいいのよ~と余計なお世話の助言ばかり繰り返して最近は空回りするようになり、ちゃんと子離れならぬ妹離れをして、妹を対等の大人として認めて新しい関係を構築しなければ。それが旅の目的の一つだった。

今回の日本滞在で最初の妹との接触は、実は仙台訪問に先だって東京の浅草で。彼女の属するオペラ研究会の発表会があって、それを見に行った。舞台上の妹はとっても楽しそうで、素敵なドレスを纏ってとっても美しかった。
a1.jpg


普通だったら、花束でも持って楽屋へかけつけ、素敵だったよ~と記念撮影したりするのだろう。しかし、公演前後の妹とバタバタ話しても良いことがないのは以前経験済み。この日も妹はいっぱいいっぱいで忙しく、公演後めぎ家もすぐに別の会合に向かわなければならなくて時間的にも慌ただしく、直接の接触は敢えてとらず観客席から鑑賞しただけ。しかし、こうして外から妹が打ち込んでいるものを見るというのは、めぎの子離れならぬ妹離れ(=新しい関係の構築)に非常に役立った。

それから仙台へ行き、挨拶もそこそこにまず連れて行かれたのは義弟の姉の家。そこに義弟の両親と兄弟の家族が一同に集い、ピアノ教師のお姉さんの伴奏で妹がドイツ歌曲(モーツァルトの魔笛のパミーナのアリア)とイタリア歌曲(ドニゼッティのアンナ・ボレーナだったと思う)を歌ってくれたのだった。
a2.jpg


まさかそんなミニコンサートがあるとは思っていなかったし、妹の専門のイタリア歌曲はともかくドイツ語でドイツ歌曲に挑戦してくれるとも思っていなかったし、その歌声はとても可愛く、そのアリアはとっても悲しく美しいので、めぎは聞きながら泣いてしまった。ああ、めぎの妹・・・ありがとう。

それから歩いて数分の義弟の実家へ。そこでは義弟のお母様が素晴らしい料理を用意してくださっていた。めぎたちのみならずお姉さんのご主人も襖を開けて、おおお~!と声を上げたほど。この写真は準備中に撮ったもので、最後にはこの倍の料理が並んだ。
a3.jpg


いつもは使っていない日本間をうちのドイツ人のために片付けて準備してくださったそうで、感激。めぎにも、かつて幼い頃に父の実家で新年などに親戚中が集まったときの記憶が蘇った。家族の集いって、いいわねえ。嫁の妹には大変なこともあるのだろうけれどね。かつて母がその集まりを苦にしていたことも思い出したり。
a4.jpg


仙台の料理の数々。美味しかった~!
a5.jpg


義弟のお母様のご実家は仕出し屋さんだったそうで、料理はプロフェッショナル。
a6.jpg


この他にも、ご実家が漁業に携わっていたお父様お手製の海鞘の酢の物やら、お寿司やら。海鞘をうちのドイツ人が難なく食べたので義弟の家族は大喜び。この他、全く写さなかったけど美味しいお酒や焼酎を次から次へと約5時間かけてたくさんたくさんいただいた。最後にはお母様がお抹茶を点ててくださり、仙台ならではのずんだ餅も。素晴らしいおもてなしを準備してくれた義弟とご家族に心から感謝。

夜には妹の甥っ子たちと花火。甥っ子は全部で5名。賑やかだったなあ。花火をしたのは下の3人で、上の2人はもう花火を卒業したらしくタブレットでゲームをしていた。9年前の妹の結婚式の時にはその上の2人がまだ2~3歳くらいだったのに、月日の経つのは早いものだ。
a7.jpg


うちのドイツ人が、これ、全員が自分の親戚だと思うとすごいことだねえ・・・とポツリ。そうなのだ、この大家族がめぎの親戚になったのは、妹の果たした偉業なのだ。
a8.jpg


こうして妹を取り巻く環境を間近に見ることができた。先日妹からメールが来て、このお盆はまた義弟の実家にみんなで集まって鰻を食べたり(これはまたお父様が鰻をさばくところからなさるはずで、きっとすっごく美味しいんだろうなあ)、お墓参りしたりすると書かれていたが、めぎには今やその様子が手にとるように分かる・・・甥っ子たちの元気な声まで聞こえてくるようだ。こんな立派なおうちに嫁いだんだね。逞しく嫁業を務めている妹はとても素敵だった。
a15.jpg


その次の日には妹の家でゆっくりまったり過ごしたのだが、妹はこうして土鍋でご飯を炊いておひつに移したり、魚焼きやらお鍋やらたくさん使って朝食を用意してくれた。
a10.jpg


朝食にお味噌汁を作る生活・・・日本ではたぶん至って普通の、でもめぎの日常とはかけ離れた別世界の朝食。めぎにとってお味噌汁とは、ごくごくたまにドイツで夕食に豚汁を作る他は、日本で温泉旅館に泊まったときに朝食に出るもの、という位置づけなのだ。うちのドイツ人は朝食を食べないし、ましてドイツでは朝から日本食は食べないし、めぎもいつも朝は慌ただしくて自分一人のために手間暇掛けてお味噌汁を作るなんてことは絶対にしない。でも、妹は、毎朝6時に起きて夫のためにお味噌汁を作っているのだ。それが彼女の日常なのだな・・・
a11.jpg


お味噌汁は出汁が利いていてとても美味しかった。具も日々工夫していて、味噌の加減もよく安定していて、既に彼女の味が完成されているのが分かった。
a12.jpg


そうそう、仙台に行ったとはいえ、仙台の観光は全くしていない。それは、9年前に妹の結婚式で仙台を訪ねた折にくまなく回っているからでもあるのだが。仙台の妹の家には2泊しただけだが、1日目は密度の濃いお祭りのような家族の集いを経験し、2日目はゆったりのんびり妹と時間を過ごし、非常に有意義な時間となった。お招きありがとう。

それから3日間の間を置いてめぎとうちのドイツ人だけで津波のあとを視察してまわり(その話はまた後でゆっくり書きたいと思う)、今回の旅の主目的、札幌へ。めぎのルーツを辿る旅。
a16.jpg


旅の計画当初、札幌に最初に行って目的を果たしてからゆっくり遊んで回ろうかという案もあったのだが、時差や疲れを抱えたまま行くのは危険だといううちのドイツ人の助言で、旅の最後に設定。主目的を最後に残したまま時間を過ごすのはなんとなくスッキリしない気もしたが、結果的には非常によかった。事前に妹とゆっくり過ごせたし、日本的リズムに慣れることができたし。

故郷の実家を訪ねることを人は帰省と呼ぶが、めぎの実家は引っ越していてめぎが住んだ家ではなく、めぎが住んだ地域でもなく、全く知らない家である。住所も覚えられないし、住所を聞いても札幌のどの辺かぴんと来ない。ベランダから見える景色も、めぎの知らない風景。
a13.jpg


美味しい食事をたくさん用意して歓迎してくれたが、食器もめぎが知らないものばかり。
a17.jpg


8年間も札幌を訪ねなかったのにはもちろんそれなりの訳があるのだが(その前も、めぎは札幌へほとんど行ったことがない・・・家を出てから今まで訪ねた回数は片手の指で足りるかも知れないほどで、しかも今回の4泊5日間の滞在はめぎが家を出てから最長の滞在であった)、時間というのは色々なことを解決してくれるもので、めぎも素直に楽しめたし、両親も素直に喜んでくれていたように思う。これまで、会わなければ親不孝だと考えて無理して会ってもその度に嫌な思いをするだけだったが、しばらくの断絶を経て、ようやく自ら会いたいな、行きたいな、と思って計画した今回の訪問は、めぎの心持ちがずいぶん異なったのかも知れない。
a14.jpg


妹がめぎが札幌入りする前日から実家に戻って準備を手伝い、めぎが札幌を発った日の翌日まで残って両親を手伝ってくれたことには感謝のしようもない。また、仕事多忙の中週末に札幌を訪ねてこれまた黙って色々サポートしてくれた義弟にも。
a16.jpg


しかしそれは同時に、上げ膳据え膳の歓待を受けてはっきりいえば実家で右も左も分からないめぎに対し、妹たちにとってはほとんど勝手知ったる家であるということであり、同じ子どもとして寂しさも感じたのは事実である。まあ、妹は結婚するまでそこに住んでいた訳だし、義弟も札幌駐在の折に妹と知り合ってその当時から何度も来ている家であるのに対し、めぎはここに住んだこともなく、さらに今は9000㎞も離れた異国にいて8年間も訪ねなかったのだから当然なのだが。そして、妹夫婦の手助け無しではこうも和やかにはいかなかっただろうなとも正直思うし。

この8年に両親は歳をとり、8年前にできたことができなくなったりもしていた。しかし歳をとるというのは体力が衰える分だけ賢くなることでもあり、体が回らない分を補って親同士助け合う知恵もついていた。そういう親を見ることができたのも大きな収穫だった・・・なにしろめぎには多感な時期に親が仲違いしていた不愉快な記憶が心に重く残っているのだから。
a15.jpg


ところで、めぎがブログをしていることをめぎの両親は知っているが、父は決して読まないのだとか。それは、父によると、日記のようなものはかつては一人で思いをしたためるものであって決して人に見せるために書いたものではない、だから、人の日記を読みたいとも思わないし、人に公開するというのも理解できない、とのこと。なんと大人なのかしら。なんとしっかり子離れできているのかしら。めぎの父は本当に賢いと思う。かねてよりうちのドイツ人が、めぎの賢さは父親譲りだとめぎに言い続けてきたが(めぎが本当に賢いのかはなんとも言えないが、うちのドイツ人によれば賢いということなのだが)、いやいやどうして、めぎは父にはかなわないな。
a17.jpg


こうして主目的の札幌滞在を終え、千歳からまっすぐ成田へ。両親の住むマンションの前で母と別れ、札幌駅まで車で送ってくれた父とは駅前の車の中で別れた。二人ともとても淋しそうで、めぎは本当に親不孝だなあと感じた。申し訳ないことだ。まあお互い様の部分ももちろんあるのだけど。それから妹がさくっと切符を買ってホームに行けるように改札まで付き添ってくれたのだが(言い換えると、そうしてもらわないとスーツケースをいくつも抱えてストレスの多い慌ただしい出発時に心許ないほどめぎは新しい札幌駅が全く不慣れで、外国の駅にいるようなものだったのだが)、妹と別れる瞬間にどどーっと涙が・・・これは本当に、不思議なほどに。妹よ、本当にありがとう。生まれてくれて、ありがとう。妹を生んでくれた両親に感謝したい。

そして最後にちょこっとおまけのように、でも旅を無事に終えたご褒美のように、素敵な方々と素敵な時間を過ごして日本の旅が終わった。
a18.jpg


以上が今回の旅の概要だが、さて、なんの話から書こうかしらねえ。


撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)、Nikon 1 V1 + 10mm(F2.8)
nice!(42)  コメント(13) 

nice! 42

コメント 13

Baldhead1010

床の間のこけしや大きなお皿、こちらでは皿鉢料理(さわちりょうり)が有名です^^

やっぱり日本が一番、かな?^^
by Baldhead1010 (2014-08-12 04:27) 

YAP

今日の記事も強い思いを感じました。
以前にもコメントに書いた記がするのですが、私と両親の関係と、なんだかダブるんですよねえ。
それだけに、言葉にできないもどかしさというか、そういうのがすごく理解できる気がして。
私もただいま帰省中なのですが、なんとなくちぐはぐで居心地が悪いです。
どうすればいいのやら。
時間や年齢が解決してくれればいいのだけど。
by YAP (2014-08-12 06:50) 

engrid

なぜかしら、涙目になってしまいました
佳き日本へのご旅行でしたのね
でも、旅行なんですね
by engrid (2014-08-12 07:00) 

mika

良い日本滞在だったのですね。
妹離れ、記事を読んでいて私も「出来てないなぁ」って
思いました。
赤ちゃんのような子供のようなイメージが、妹が結婚した今も
未だに抜けないのです。
by mika (2014-08-12 08:52) 

ナツパパ

すみません、今日はコメントできそうにないです。
記事を拝見して、いろいろ思いが浮かびます。
by ナツパパ (2014-08-12 10:56) 

かずのこ

各人がそれぞれの時間の流れの中で生きてるから、
家族の関係も常に変化しますよね…
歳を重ね、今の時間を大切にしたいと思うようになりました。
by かずのこ (2014-08-12 11:29) 

MOCOMOCO

本当に本当に中身の濃い日本滞在でしたね。
所々、読んでいてわたしもうるっとしてしまいました。
兄弟姉妹のありがたみって、子供の頃より大人になってからの方が感じますよね^^
by MOCOMOCO (2014-08-12 11:34) 

ふーみん

妹さん ご両親 親戚のみなさん  やっぱりなにがあろうとも
血のつながりは強いですね。
めぎさんも良い里帰りが出来て 又ドイツで頑張ってください。
by ふーみん (2014-08-12 12:49) 

Inatimy

たとえ親子でも心の距離は時によって遠ざかったり縮まったり様々ですよね。
以心伝心を感じる部分もあれば、どうしても理解できない部分もあったり。
嫁いでその家族親戚の中に加わって自分の立ち位置を微調整しながら見極め、
また時を経るにつれて訪れる変化を受け入れつつ・・・。
そこに空間的な距離や普段の暮らしのある国の流儀やテンポが交差してくると
かなり複雑になってきたり。
ご両親宅のベランダで育ててらっしゃる植物の写真を見て、
めぎさん家の緑いっぱいのバルコニーが浮かびました。
by Inatimy (2014-08-12 16:08) 

rino

めぎさんに最初にお会いしてからかれこれもう7年くらい。時々お話伺っていたけど、時間は人の心も少しずつ変化をもたらしてくれますね。異国に嫁いだめぎさんには日本の親戚や、特に妹さんの存在が沁みますね。。

by rino (2014-08-12 17:58) 

のび太

いろいろな事を感じました・・・。
by のび太 (2014-08-12 18:57) 

テリー

ご両親への思い、妹さんへの思いがよく、伝わってきます。

by テリー (2014-08-12 22:50) 

mimimomo

大家族、妹さんも結構嫁ぎ先で大変でしょうね^^
by mimimomo (2014-08-14 06:28)