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いつもの暮らしに戻る [小さな出来事]

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めぎ家のいつもの生活が始まった。金曜日にマルクト市場に行って一週間分の食料品を買って、テーブルを飾る花を買って、という日常生活が。
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買い物に行くときにカメラを忘れちゃって、マルクト市場の様子や街並みを撮ることができなかったのだけど、歩きながらふと、自分はいったいどこにいるんだろう・・・という不思議な気分になった。

これは日本へ行く前に撮ったもの。
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日本にいる間、時々スマホでみなさまのブログを拝見したのだが、その中に同じ欧州にお住まいの方やたまたま欧州旅行記を連載中の方がいらして、欧州の街並みの写真が掲載されていた。それを見ると、なんとも不思議な気分になったものだった・・・その写真の中にめぎの日常があるのだが、めぎ自身はその日常の中にいなくて、つまりは海外旅行中であって、でもその旅行先はめぎの故郷であって勝手知った見慣れた景色でもあるのだが、そこにめぎの日常はなく、非常に非常に遠い世界にいるような気がして、そのことがなんとも言えず哀しく切なく淋しく感じられたのだった。めぎの祖国なのにそこは訪問先で、慣れない日常がそこにあって、言葉も時々すんなり出てこないし、たぶん動作や言い回しやリアクションや切り返し方やテンポやものの考え方が部分的に日本的でなくて、ちょっとびっくりした顔で見つめ返されることも多々あって、どぎまぎしちゃったり。

これも日本へ行く前に撮ったもの。
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かつてはドイツのテンポや切り返し方に慣れなくて、言葉も言い回しもうまくなくて、サービスや慣習やものの考え方など日本で当然と思っていたことがことごとく当然じゃなくて、それこそどぎまぎすることが多々あったのだが、それがすっかり逆転する日が来ようとは。在独13年目を間もなく迎える年月が経ち、めぎは日本国籍であるけれど、体つきも顔も正真正銘の日本人で心の芯もきっとまだ日本人であるけれど、めぎの住処はすっかりドイツとなったのだなあ・・・と実感する3週間であった。


今時はそういう考え方もすっかりなくなりつつあるのではないかと思うが、日本には郷に入れば郷に従えという言葉があり、かつては武家などの婚姻で他家に嫁に行った者は10代で嫁入りしたその日からその家の者としてその家の慣習に従い、そのうちにはすっかりその家の者になって最後は姑としてその家の次の代にその家の慣習を伝える役割さえ果たしたはずだ。そういう嫁が何かの折に実家に帰ることがあれば、懐かしさと共に違和感も大いに感じたのではないかと思う。めぎの日本訪問は、それに似ている。素晴らしいもてなしを受ける度に、ここがめぎの住処ではないことを実感するというパラドクス。異文化として紹介されている欧州の街並みに自分の日常があるというなんとも不思議な違和感。それを消化するにはしばらくかかりそうな気がする。
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ダリアは3束6ユーロで購入。1束は8本くらいだったと思う。合う花瓶を買わなきゃいけないわね。

撮影: D600 + 24-70mm(F2.8)、Nikon 1 V1 + 10mm(F2.8)
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もんとれ

三年程度でも、戻ってきて最初の職場で周囲にあんぐりされたり、えっ?という目の色を感じて「あ、いかん」とその都度戻していくリハビリで、それがなんというか、日本式に順応してゆく在留外国人はこの感覚なんだな、日本の社会プログラムや特徴を分析した文章を書くなら今だなと思えて面白かった。最初に慣れたのが舌で(それでも「日本食って砂糖とか味醂味…すごく甘いな」と思ったけど)、最後が溢れかえる過剰音(電気店からTVから駅構内まで)。
語弊なくば、言い回しや返し方のフォーマットや礼儀に、普段使わない回路を使って気を遣う場所が、その人には「外国」なのだよね。
by もんとれ (2014-08-09 04:10) 

Baldhead1010

異文化を理解吸収するのはよほどの努力と時間が必要なんですね。

大人に比べ小さな子供な順応が早い。
by Baldhead1010 (2014-08-09 05:56) 

Inatimy

違和感、分かるような気がします。 
生まれ育った国だから言葉はまだ出来るけど、聞き慣れない流行り言葉に一瞬
思考が停まってしまうし、住んでた街は勝手に足が進むほど覚えてはいるけど、
並んでる店は全く様変わりしてて、自分の実家ですら勝手が分からず、
どうも落ち着かない。すっかり居場所がなくなった感じがして、
一時帰国するたび妙に切なかったです。かといって、欧州でも短期間で
あちこちの国を転々としてるから、私はそのどの国の言葉もぎこちなく、
宙ぶらりんな状態・・・。この先、どこに流れていくのかも分からないし。
私がホッとできる住処といえるのは、まだ国ではなく住んでる家の中の範囲だけという・・・^^;。
by Inatimy (2014-08-09 06:31) 

YAP

めぎさんがそんな気持ちになるくらい、ドイツに行かれてから長い時間が経つのですね。
私が何度海外旅行や海外出張に行っても、そこは遊びであれ仕事であれ、日常からは遠く切り離された場所。
めぎさんのような複雑な心境は、想像はできても本当の意味で実感ができないと思いますが、その切なさは記事から感じることができました。
by YAP (2014-08-09 06:53) 

uminokajin

忘れていた高安國世の歌集「北極飛行」を取り出してちょっと読んでいます。終りの方の (日本の冬)の五首書いてみます。

一年にかかる違和感をふたたびす在りしドイツに帰りし日本に
東京の街をせわしく往来す富士遠く昨日も今日も見えつつ
照る日のなか外套に汗あえ我はゆく人溢れたる日本の冬
ドイツには無き一つにて新宿の沸き立つ如き路次恋いしかど
悲しみて見しならねども山あいに厚き藁着る蜜柑の木むら
  高安氏がドイツに居たのは昭和三十二年のことです。
by uminokajin (2014-08-09 07:08) 

engrid

なんだか切ないですね
でも、根をはった暮らしの証でもあるでしょうし
二つの国の普通が融合されていくのでわないでしょうか
by engrid (2014-08-09 07:43) 

ナツパパ

わたしは東京に生まれ育って、他に住んだことがないんです。
そういうわたしであっても、めぎさんのお話は、心に浸みました。
by ナツパパ (2014-08-09 12:23) 

rino

めぎさんのお話、切なく、なんとも不思議な感じ、想像できました。
かつて世界中何処に住んでいようと、今の自分の家庭がある場所こそが居所だと思いました。そう、ご主人と一緒の場所。異文化の中のほっとできる我が家。不思議な感覚。

でもめぎさんの場合、ご主人様も異文化の方、そしてその国へお嫁に来たということ。
母国に対する慕情はきっと計り知れないものなんだと想像しました。

また帰ってきてくださいね。
by rino (2014-08-10 08:25) 

テリー

13年間、ドイツですか、すごいですね。しかも、ドイツ人の方と結婚されているから、ますます、ドイツの生活・文化になじんでいくのでしょうね。

by テリー (2014-08-10 19:07) 

mimimomo

異文化のみならず、自分の住処って限定されるみたいですね~わたくし自身福岡に居場所が無いし、息子はお正月など帰ってきてもこの家には居場所が無いみたい。
それが国と国とではもっと大きなものですよね。
by mimimomo (2014-08-11 19:57)