ゲルニカ(バスク旅行記序章) [スペイン北部(バスク・カンタブリア)]

今年のイースター休暇にバスク地方へ旅をしようと決めたのは、去年の8月のこと。チケットを購入したのは9月1日だった。その頃はこの時期もうちょっと暖かいことを予想していたのだけど、厳冬の影響でスペイン北部もずいぶん春が遅いようだった。

どうしてバスクへ行こうということになったのか。それは、めぎがスペインへ行きたかった&うちのドイツ人がまだ行ったことのないスペインの地方は北部だけだった&飛行機のチケット代が安かった(一人往復49ユーロ+TAX)からだ。ちなみにめぎがこれまでに行ったスペインはアンダルシア地方とマヨルカ島。マドリードにもバルセロナにも行ったことがないんですけどねえ。でもまあ、海が満喫できるし、最近大都市が賑やかすぎてめんどくさく感じるようになったし、それじゃバスクに行きましょ、と同意したのだった。

さて、バスクと言えば、テロの国。そういうイメージしかなかっためぎは、去年の10月に日本へ行ったときに渡部哲朗著『バスクとバスク人』という本を購入し、いったいどんなところなのか予習することとした。なにしろネットで調べてもフランスのバスク地方の話しかヒットしないのだ。めぎが行くのはスペインのバスク地方なんですけど・・・で、キーワードをスペインのバスクに絞ると、独立運動のことばかり。ええそうなんです、バスク地方とは、フランスとスペインの国境地帯にまたがっているバスク語を話す民族の住む地方のこと。Wikiから引いた地図で見ると、こんな感じのちっちゃな地帯。色が濃いところほどバスク語を話す人が多いとのこと。

ここを拡大すると、下のようになる。これもWikiから引いたもの。黄色の部分がフランスのバスク地方。ピンクと緑の部分がスペインのバスク地方。緑はナファロア(スペイン語ではナバラ)州といい、ピンクはバスク州という。バスク州にはご覧のように3県あって、それぞれビスカイア(スペイン語でビスカヤ)、ギプスコア、アラバという名前だ。(この地域は看板や標識などにバスク語表記とスペイン語表記が入り交じっており、スペイン語がほとんどできないめぎにはどれがどちらだか分からず正しく発音できないことも多い上、ドイツ語読みしてしまうこともあるかも知れないことをここでお断りしておく。)

めぎが今回旅をしたのは、上の地図のピンクと緑のスペイン領バスク地方、そして地図上には出ていないがピンク部分の左隣のカンタブリア州。だから、カテゴリーの名前を「スペイン北部(バスク・カンタブリア)」とした。
バスク地方の旅行記の序章としてバスク地方について説明しようとしても、何か書き始めるとすぐに長くなってしまってめぎの筆力ではまとめようがない。知識もイマイチ。だから、バスクの象徴とも言えるゲルニカについて書きながら、その雰囲気をご紹介したいと思う。めぎたちがビルバオで飛行機を降りてレンタカーして最初に向かったのはまず海で、そこからゲルニカへ南下し、初めての休憩をとった。

ピカソのオリジナルはマドリードにあるようだが、この絵はスペイン内戦中にフランコを支持したナチスドイツ・イタリア軍がバスク地方攻撃の一貫としてゲルニカの市街を空襲をしたことを描いたものである。スペインでは第二次大戦後もフランコの支配が続き、バスクはバスク語の使用が禁止されるなど弾圧されたが、フランコの死後、ようやくバスク州(上の地図のピンク部分)の自治権が認められるようになった。ゲルニカはそのバスク自治州の中でも非常に重要な象徴の町で、ビスカヤ県議会が置かれているところ(県庁はビルバオにある)。その議事堂はゲルニカ空襲でも破壊されずに残り、こうしてその立派な内装を見ることができる。

天井の大きなステンドグラスに描かれているのはオークの木。バスク地方の伝統として、議会はオークの木の下で開かれてきたのだとか。今や他の町のオークはなくなってしまい、ゲルニカにしか残っていない。また、バスクの伝統として、ビスカヤ伯はゲルニカのオークの下でビスカヤの自治を尊重する誓いを行わなければならなかったそうで、バスクがカスティーリャ王国の支配下に置かれても、その誓いの儀式が引き継がれてきたそうだ。だから、ゲルニカはバスクの自由を象徴する場なのだとか。そのため、バスク自治州が誕生する折にも、その自治法がこのゲルニカで承認され、自治州首相はこのゲルニカのオークの下で宣誓を行った。

立派な建物・・・空襲で破壊されずに済んで本当によかったね。

このバスクの自由の象徴であるオークの木は代々植え替えられ、1800年代までのすっかり石化した木はこちらに。

1860年に植え替えられた木は2004年に枯れてしまい、現在のはまだ若木。

議事堂の中にはオークの木があちこちに描かれていた。


ちなみにバスク州の旗は鮮やかな赤と緑と白。赤はバスク人を、緑はゲルニカのオークを、白の十字はカトリックへの信仰を指している。今回の旅では、バスク州の中でこの旗を何度見かけたことだろう。こんなに町中に旗が閃いているところがあるなんて。それもかなり大きくて、ベランダいっぱいに掲げてあったりして、カーテン代わりに旗があるんじゃないかと思うほど。それだけ自由独立への思いが強いのかな、と感じる。

そんな厳しい歴史のゲルニカとバスクだけど、人々の様子は極めて平常。

バスク人といえばベレー帽かぶってピレネー山脈に住んでいる孤高な戦う人というイメージもあったけど、こんな風に行列作って塩漬け鱈を買ったりしてるし、誰もベレー帽被ってないわねえ。

テロのニュースがあるとどうしても怖い場所のような気がしてしまうけど、考えてみればテロの起こる確率は日本の地震の起こる確率よりずっとずっと小さく、喩えは極端だけど、日本で東京に大地震がいつ来るとも分からないのに誰も逃げ出さずに人々が普通に生活しているのと全く同様に、バスクの人々もここで日々普通に生活しているのよね・・・ということを、当たり前だけどつくづく感じた旅でもあった。

ゲルニカにはちょうど春が来たところ。美しい花が見られて嬉しかった。

♪ おまけ ♪
バスクの歴史はあまりにも複雑で専門外のめぎがここで簡単に説明することはできないため、興味のある方はどうぞこの本をお読みになって。
めぎは正直この本を読んでもイマイチピンと来なかったのだが、旅をしながら毎晩読み返して、なるほどね~と感じることがいっぱいあった。文字で読んでもよく分からなかったものが、その場に来てみるとストンと心に響くというか落ちるかのように分かることって、この世にはいっぱいありますわね・・・つくづく、自分は頭で考える学者じゃなくて感覚的人間なんだな、想像力に欠けてて経験して初めてものを知っていくタイプの人間なんだな、と実感した旅でもありましたわ。
2010-04-08 01:28
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コメント(18)
天井のオークの木のステンドグラス、感動しました^^
私もバスクというと、テロばかりが浮かんじゃいます。
めぎさんの旅行記事、楽しみにしています♪
by hatsu (2010-04-08 05:36)
勉強になります。でも、きっと行かないとわからないでしょうね。
日本で言えば、沖縄みたいなものか。北と南で逆だけど。
国の線引きはゆるく薄くなっているような気もすますが、逆に民族意識
とかって、強くなるようだし。そして争いの種は余り減らないですね。
by 春分 (2010-04-08 05:57)
もっと騒然とした様子を想像していましたが、
戦争状態ではないので、
いつもは普通の市民生活が営まれているのですね。
大きな国に挟まれて、翻弄されてきたのでしょうね。
by manamana (2010-04-08 06:59)
私もバスク地方はテロや治安の不安のある土地だと思っていましたが、それは上辺だけの情報なんですね。
ゲルニカという街がこの地方だということもよく知らなかったし、断片的にしか知識がないことを実感してます。
by YAP (2010-04-08 08:04)
それぞれの建物や装飾にも、それぞれの意味があるのですね。
僕は、旅行をしても勉強不足なので、見過ごしていることが多いです(^^;
勉強になりました。
それにしても49ユーロっていうのは安いですね。
by くっさん。 (2010-04-08 08:21)
それぞれの国の歴史ってとっても難しくって複雑、つまり政治とか戦争とか宗教とか皆違うから頭だけでは理解って確かに無理かも、めぎさんに近いイメージを持っていましたがそうか、地震のたとえでわかりやすかったぁ~実際に行って感じてみたいです。(*^_^*)
by マリエ (2010-04-08 10:11)
フラメンコも闘牛も興味ないのだけど、
私がスペインに行きたい最大の理由は
ピカソのホンモノのゲルニカが観たいから。
勉強になりました(笑)
by piano (2010-04-08 11:27)
藤の花が咲いているのでしょうか。
天井のオークの木のステンドグラス、素敵ですね。
by やよい (2010-04-08 12:33)
複雑な歴史なんですね・・。でもめぎさんが、歴史を刻んできたその場所で空気にふれて理解できる旅、、そんな旅をされたのがなんとも素晴らしいなぁと思いました。マドリッドでゲルニカを見たのは、もう20年以上前。またこんな風にブログで見せていただいて、感激ですよ(^^)
by rino (2010-04-08 18:38)
めぎさん、勉強になりました~(^^♪
勉強でお腹が空いたのでバスクの名物料理が見たい・・・^^;
by あかえび (2010-04-08 18:53)
抑圧されればされる程反発もまた強くなるのですね。
北風と太陽を、ふと、思い出しました。
言葉を禁止、は確かイギリスがアイルランドでもやりましたね。
by ナツパパ (2010-04-08 20:22)
ピカソのゲルニカはマドリッドで見ました。
いつかバスク地方に行ってみたいと思いながら未だいけずにいます。
by miffy (2010-04-08 21:14)
スペイン旅行計画中ですので、勉強になります。
by テリー (2010-04-08 21:48)
ワールドカップでスペインの試合を見たけれども、
スペインの国旗は誰一人持っていなくて、
おそらくその人の地方の旗を纏っていたのを思い出します。
ちなみにバスク地方のサッカーチーム、アスレティックビルバオは、
バスク人の選手しか所属させません。
by 李 萬中 (2010-04-09 08:35)
寮生で仲の良かったマドリッド娘の同室がバスク人、まさにこの土地の娘でね。物事の見方に芯があって思慮深く、一歩引いた言動の彼女が自分は好きでした。みなして毎晩毎晩わいわいよく遊んだのだけど、ある晩アルコールを入れた場で「あたしゃ彼女の性格が大好き」と云ったら、マド娘が無邪気に「良い娘よ。ホント、バスク人でさえなかったら」と舌を出して、おまえなーと軽く拳骨した自分に「だってー、それだけが残念なのよ」と。カタロニアの子は無言になるし、イタリア南部やマルティニーク島の娘たちはドン引き。そろそろと散会に。その話題に即座に拳骨出せる自分は、この異国の留学生の坩堝にあっても異邦人なんだなぁと実感したもの。
by もんとれ (2010-04-09 11:35)
ピカソの「ゲルニカ」は、プラド美術館で観ました。大きな作品でしたね。バスクについては、偏見をもってはいけないなあ、と理解できました。
by たいちさん (2010-04-09 12:38)
ゲルニカは、とても印象に残っている絵です。
by krause (2010-04-09 19:32)
>みなさま
ゲルニカの話にコメントとniceをありがとうございました。
バスクのことを詳しく知っている人はなかなかいないですよね。めぎはほとんど何も知りませんでした。だから、是非行きたいと思っていた場所では決してありません。うちのドイツ人が行きたいと言うからついて行っただけです。でも、行くからには、どんなところでそこで何を見たいか事前に調べました。ゲルニカは是非見たかったところの一つです。
バスク語のことや歴史、習慣、暮らしぶり、宗教等はもちろん、サッカーチームのバスク人選手しか所属しない話まで、記事中に挙げた本に書いてありました。ザビエルや捕鯨のことなど、意外な日本との深い関わりにもきちんと触れられていました。著者は日本のバスク専門家の第一人者のようですから、日本でテレビなどがこの地を取り上げる際にもこの本とこの著者を取材しているものと思われます。そういう意味で、この地についての概要をある程度深く知りたければ、この本をお薦めします。
ヨーロッパはEUなんていう大きな一つのまとまりを作っている一方で、多くの少数民族の問題を抱えています。ドイツにもソルブ人やフリース人がいますしね。ベルギーのように小さな国でもいくつかの民族がそれぞれの言葉で生活してますし、オランダにもフリース語の地域があります。同じ言葉でも、例えばドイツのバイエルンとザクセンではまるで違う国のように文化・習慣が異なりますし、どこも他と一つになっているようには見えません。
めぎにとっての初めてのスペインはアンダルシア地方でした。2007年のイースター休暇のことです。ある日バイエルン対マドリードのサッカーの試合があって、その日はバル(居酒屋)には中継テレビを囲むおじさん達がいっぱいで、彼らはスペイン人なのにマドリードをこれっぽちも応援しなくて、バイエルンがゴールすると拍手大喝采大喜びしていました。そんなアンダルシアのおじさん達に囲まれて、アンチ・バイエルンのうちのドイツ人は複雑な顔をしてました。めぎにとって、ヨーロッパ民族間の複雑な絡み合いを肌で感じた非常に印象深い思い出です。
上記の本の第一章の冒頭に、「バスクとはなにか? ヨーロッパがそうであるようにスペイン一国も内部は諸々の民族集団が存在するモザイク状態であり、小さな「くに」バスクも同様である。」と書かれています。本当にその通りです。バスクとスペインだけが特別なのではなく、ドイツも同じです。テロはやっぱりやめて欲しいですけどね。
by めぎ (2010-04-10 07:42)